交通費の不正受給を理由に懲戒解雇できるか?懲戒解雇の条件やリスクを解説

更新日: 2026.07.24

交通費不正受給

「電車通勤と偽って交通費を受け取っていた」「引っ越したのに前の住所のままの通勤手当をもらい続けていた」——交通費(通勤手当)の不正受給は、問題社員対応で相談の多いテーマです。

不正受給は刑法246条の詐欺罪にあたり得る犯罪行為で、会社としては厳正に対応すべき場面です。もっとも、十分な調査をしないまま、いきなり懲戒解雇に踏み切ると、かえって不当解雇として大きな負担を招くことがあります。本記事では、不正受給の犯罪性、返還請求、そして「どの程度の不正で懲戒解雇まで認められるのか」を、裁判例を踏まえて企業側の弁護士が解説します。

Q交通費の不正受給で懲戒解雇できる?

できる場合もありますが、「不正の金額・期間・悪質性」次第です。長期・多額で悪質なケースでは懲戒解雇が有効とされた裁判例がある一方、金額が少額で期間も短く、本人が返還に応じているようなケースでは、懲戒解雇は「重すぎる」として無効と判断された例もあります。不正=直ちに懲戒解雇、ではなく、証拠を固め、処分の重さを見極めることが不可欠です。

この記事のポイント

  • 交通費(通勤手当)の不正受給は詐欺罪(刑法246条)にあたり得る犯罪行為で、返還請求も可能
  • 懲戒解雇が有効かは、不正受給額・期間・悪質性・反省・返還の有無などで判断される
  • 裁判例では、約231万円(長期)や約103万円は有効、約34万円で返還準備ありは無効と、結論が分かれている
  • 発覚時は申請書・定期券・住民票・通勤経路などの証拠を確保してから処分を検討する
  • 無効リスクに備えるなら、懲戒解雇と同時に予備的な普通解雇を通知しておく方法がある
SECTION01
交通費(通勤手当)の不正受給とは|3つのパターン

本来、通勤にかかる交通費は従業員が負担すべき費用ですが、多くの会社が福利厚生として通勤手当を支給しています(令和2年就労条件総合調査では約92.3%の企業が支給)。この通勤手当を、事実と異なる申告で多く受け取るのが「不正受給」です。よくあるのは次の3パターンです。

不正受給の主なパターン

  1. 住所を偽るパターン:実際より遠い住所を申告し、水増しした通勤手当を受け取る
  2. 経路・手段を偽るパターン:本当は自転車・徒歩・自家用車で通っているのに、電車・バス通勤と偽って定期代を受け取る
  3. 変更を申告しないパターン:近くに転居した・部署異動で経路が変わったのに届け出ず、従前の高い通勤手当を受け取り続ける

不正受給が起きる背景には、会社が自己申告をうのみにし、定期券や経路の確認を怠っていることがしばしばあります。放置すると損害が膨らむだけでなく、他の社員のコンプライアンス意識も緩みかねません。

SECTION02
不正受給は犯罪?|詐欺罪・業務上横領と返還請求

交通費の不正受給は、単なる「もらいすぎ」では済みません。虚偽の申告で会社をだまして手当を受け取る行為は、詐欺罪(刑法246条)に当たり得ます。裁判例でも、定期代をだまし取った行為を「刑法に該当する犯罪行為」と評価したものがあります。

詐欺罪(刑法246条)
  • 虚偽の申告で会社をだまして手当を受け取る
  • 経路・住所を偽って定期代を受給する典型例
  • 10年以下の拘禁刑(懲役)
業務上横領罪(刑法253条)
  • 会社から預かって管理する金銭を着服する類型
  • 実費精算金や立替金の私的流用などが問題になり得る
  • 10年以下の拘禁刑(懲役)

どちらに当たるかは、お金の受け取り方(申告してだまし取ったのか、預かり金を着服したのか)によります。交通費の水増し申告は詐欺罪で捉えられるのが一般的です。

不正に受け取った分は返還請求できる

会社は、不正に支給した通勤手当を返還請求できます。法的には、正当な理由なく利益を得たものとして不当利得の返還(民法703条)、あるいは不法行為による損害賠償(民法709条)として請求します。実務では、本人に不正の事実と金額を確認したうえで、返還の合意書を取り交わし、分割返済などを取り決めることもあります。

刑事告訴・返還請求・懲戒処分は別々の問題です。返還に応じたからといって懲戒処分ができなくなるわけではありませんし、逆に、本人が返還に応じている事情は、後述のとおり懲戒解雇の相当性の判断で本人に有利に働くことがあります。

※ 実務で誤りやすいのが「相殺(給与天引き)の可否」です。不正受給分を、会社が毎月の給与から一方的に差し引く(相殺する)ことは、賃金全額払いの原則(労働基準法24条)に反し、原則として認められません(最判昭36.5.31)。返還は、別途請求するか、本人の自由な意思に基づく同意(返還合意書)を得たうえで行います。

SECTION03
懲戒解雇できる?|金額・期間・悪質性で決まる相当性

多くの就業規則には「故意又は過失により会社に損害を与えたとき」といった懲戒事由があり、住所・経路の変更を届け出る義務に反して過大な手当を受け取る行為は、これに該当するのが通常です。もっとも、懲戒事由に当たることと、懲戒解雇まで許されることは別問題です。懲戒解雇は最も重い処分なので、不正の中身に見合った処分か(社会通念上の相当性)が厳しく問われます。裁判所は、おおむね次のような事情を総合して判断します。

懲戒解雇の相当性を左右する主な事情

  • 不正受給の金額期間(長期・多額ほど重い処分が正当化されやすい)
  • 手口の悪質性(住所や経路を巧妙に偽っていたかなど)
  • 本人の立場(管理職か一般社員か)
  • 不正への反省の有無・程度
  • 過去の処分歴や、会社の予防策の有無
  • 不正受給額を返還したか(返還の意思・準備を含む)

裁判例で結論はこう分かれた

実際の裁判例を見ると、金額と期間が結論を大きく左右しています。

裁判例 不正受給の額・期間 結論
かどや製油事件
東京地判平11.11.30
労判777号36頁
4年6か月・虚偽の住所を届け出て約231万円 懲戒解雇 有効
アール企画事件
東京地判平15.3.28
労判850号48頁
2年10か月・遠方の住所を偽り定期代約103万円を詐取 懲戒解雇 有効
光輪モータース事件
東京地判平18.2.7
労判911号85頁
4年8か月・経路変更の届出漏れで差額約34万円/返還準備あり・処分歴なし 懲戒解雇 無効

約231万円を長期間、約103万円を偽った住所で受給したケースは、いずれも重大・悪質な背信行為として懲戒解雇が認められました。他方、差額が約34万円にとどまり、本人が返還の準備をしていて処分歴もなかったケースでは、「懲戒解雇は重きに過ぎる」として無効とされています。

注目したいのは、無効となった光輪モータース事件が、3件のなかで不正受給の期間は最も長い(約4年8か月)点です。それでも無効とされたのは、金額が小さいことに加え、経路変更の届出を怠って節約分を受け取っていたにすぎず、当初から過大請求をねらってあえて遠回りの経路を申告したような「詐欺的」なケースほど悪質とはいえないと評価されたためです。つまり、期間の長さよりも、金額の大きさと動機の悪質性が結論を分けるといえます。

逆に、有効とされたかどや製油事件は、通勤手当の不正受給だけで有効とされたのではなく、勤務態度の問題(無届けの離席など業務放棄に近い勤務実態)もあわせて考慮された事案です。金額が大きくても、不正受給という一事だけで懲戒解雇が当然に有効になるわけではない点に注意してください。

弁護士からのワンポイント

「いくらから懲戒解雇できるか」に明確な線引きはありません。金額・期間が小さめのケースでは、いきなり懲戒解雇とせず、出勤停止・降格・けん責などの処分+返還請求で対応するほうが安全なことも多くあります。処分の重さの見極めは、事前に弁護士へご相談ください。

SECTION04
発覚と証拠の確保|どう調べ、何を残すか

不正受給は、定期券の期限切れ・更新記録、住民票と申告住所の食い違い、通勤中の目撃、社内の通報などをきっかけに発覚することが多くあります。処分を有効に行うには、感情的に動く前に、事実を裏づける証拠を固めることが先決です。

確保しておきたい主な証拠

  • 通勤手当の申請書(申告した住所・経路・金額がわかるもの)
  • 住民票・賃貸契約書など、実際の居住地を示す資料
  • 定期券の写し・IC乗車履歴・交通系の利用記録
  • 実際の通勤手段がわかる資料(駐車場契約、自転車通勤の記録など)
  • 本人からの聞き取り記録・顛末書(弁明の機会を兼ねる)

調査は本人のプライバシーにも配慮しつつ、必要な範囲で行います。証拠が不十分なまま処分すると、後で「事実の裏づけがない」として解雇が覆るおそれがあります。不正の金額・期間を客観的に特定できる資料を揃えることが、返還請求の面でも重要です。

再発を防ぐ規程・運用の整備

不正受給は、会社側の確認不足が温床になりがちです。次のような整備で予防できます。

予防のためのポイント

  • 賃金規程で「最も経済的かつ合理的な通常の経路・方法による定期券購入費(所得税法の非課税限度)」を支給基準として明記する
  • 就業規則・雇用契約で、住所・通勤経路の変更を届け出る義務虚偽申告の禁止を定める
  • 支給時・更新時に定期券の写しや通勤経路の疎明資料の提出を求める
  • マイカー・自転車通勤者の取扱い(最寄駅からの運賃相当額の支給など)をあらかじめ明確にする
SECTION05
いきなり懲戒解雇のリスクと「予備的普通解雇」

懲戒解雇が無効(不当解雇)と判断されると、解雇日から解決までのバックペイ(未払い賃金)解決金を会社が負い、対応の時間・費用もかさみます(会社側に生じるデメリットの全体像は「懲戒解雇の会社側のデメリット」で詳しく解説しています)。交通費の不正受給は、金額次第で相当性が微妙になりやすいテーマだけに、この無効リスクへの備えが効いてきます。

無効になっても賃金の遡り支払いを抑える備え

備えの一つが、懲戒解雇を通知すると同時に、「もし懲戒解雇が無効なら普通解雇として扱う」という予備の意思表示もあわせて出しておく方法です。普通解雇は懲戒解雇より有効と認められやすいため、懲戒解雇が覆っても予備の普通解雇が生き残れば、賃金の遡り支払いを抑えられます。二つの解雇に時間差を作らないことが肝心です。

懲戒解雇兼予備的普通解雇 通知書(記載イメージ)

令和○年○月○日

○○ ○○ 殿

株式会社○○
代表取締役 ○○ ○○

1 懲戒解雇の通知
貴殿は、令和○年○月から令和○年○月にかけて、実際は自家用車で通勤していたにもかかわらず電車通勤と偽り、通勤手当○○円を不正に受給しました。この行為は就業規則第○条○号の懲戒事由に当たるため、同規則第○条に基づき、本日付で貴殿を懲戒解雇します。なお、これに先立ち弁明の機会を設けました。

2 予備的な普通解雇の通知
前項の行為は、就業規則第○条○号の普通解雇事由にも当たります。そこで、予備的に、同条に基づき、本日付で貴殿を普通解雇します。

3 その他
不正に受給した通勤手当○○円の返還を別途請求します。退職に伴う手続はあらためてご案内します。

組み立てのイメージです。条項番号・金額・解雇予告手当や除外認定の扱いは事案ごとに異なります。実際の文面は、公表前に弁護士の確認を受けてください。

予備的普通解雇は万能ではありません。通知書に予備的普通解雇の意思をはっきり書いていないと、後から主張しても認められにくいこと、普通解雇として有効といえる理由と証拠が要ること、解雇予告手当の扱い(除外認定を受けるか支払うか)を先に整理しておくことに注意してください。

関連:懲戒解雇の全体像は「懲戒解雇と失業保険」、会社側のデメリットは「懲戒解雇の会社側のデメリット」、懲戒処分の種類は「懲戒処分とは」、解雇予告手当は「解雇予告手当とは?」、副業を理由とする解雇・懲戒処分は「副業を理由に解雇・懲戒処分できる?」で解説しています。

SECTION06
よくある質問(Q&A)

交通費の不正受給は犯罪になりますか?

虚偽の申告で会社をだまして通勤手当を受け取る行為は、詐欺罪(刑法246条)に当たり得る犯罪行為です。お金の受け取り方によっては業務上横領罪が問題になることもあります。実際に刑事事件化するかは、金額や悪質性、会社の対応方針によります。

交通費の不正受給が発覚したら、必ず懲戒解雇にできますか?

いいえ。懲戒解雇は最も重い処分で、不正の金額・期間・悪質性・反省・返還の有無などから相当性が判断されます。少額で短期、本人が返還に応じているようなケースでは、懲戒解雇が無効とされることもあります。まず証拠を固め、処分の重さを見極めることが重要です。

いくら不正受給すれば懲戒解雇できますか?

明確な金額の線引きはありません。裁判例では、約231万円を長期間や約103万円を偽った住所で受給したケースは懲戒解雇が有効、差額が約34万円で返還の準備がありプロセスも軽微だったケースは無効とされています。金額・期間・悪質性の総合判断です。

不正に支払った通勤手当は返してもらえますか?

返還請求できます。不当利得の返還(民法703条)や損害賠償(民法709条)として請求し、実務では返還の合意書を取り交わして分割返済を取り決めることもあります。返還と懲戒処分・刑事告訴は別の問題です。

懲戒解雇の前に何の証拠を確保すべきですか?

通勤手当の申請書、住民票や賃貸契約書、定期券の写しやIC乗車履歴、実際の通勤手段がわかる資料、本人からの聞き取り記録・顛末書などです。不正の金額・期間を客観的に特定できる資料を揃えておくことが、処分の有効性と返還請求の両面で重要です。

不正受給した分を給与から天引きできますか?

原則としてできません。賃金全額払いの原則(労働基準法24条)により、会社が一方的に給与から差し引く(相殺する)ことは認められないのが原則です。返還は別途請求するか、本人の自由な意思に基づく同意(返還合意書)を得たうえで行います。

交通費の不正受給への対応は、処分前に弁護士へ

交通費(通勤手当)の不正受給は犯罪行為である一方、金額次第で懲戒解雇の相当性が微妙になりやすいテーマです。証拠の固め方、処分の重さ、返還請求、予備的普通解雇まで、進め方を誤ると不当解雇のリスクが生じます。処分の前に、まず弁護士にご相談ください。難波みなみ法律事務所は企業側の顧問弁護士として、調査から処分・回収までサポートします。

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※本記事は一般的な法令・裁判例・実務に基づく解説です。刑事責任の成否や個別事案の処分の可否は、事実関係により異なります。具体的な対応は弁護士にご確認ください。

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